徳川家康公 本多忠勝朝臣 天神地祇 護国英霊
龍城神社について
御祭神
社記
往昔、三河の守護代西郷弾正ェ門稠頼が此の地に築城成る日、何処ともなく柳の五ッ衣に紅の袴をつけた気高い乙女が天守に現われ、「われはこれ歳久しく此の処に住む龍神なり、汝われを鎮守の神と崇め祀らば永く此の城を守護し繁栄不易たらしめん」と、おりしも城中の井水噴き出で、高く天に沖し飛瀑の如く龍神に注ぎ、一群の黒雲舞い下りて天守を包むと見るまに龍神の姿は忽ち消えうせた。此の不思議に城主おどろき、天守楼上に龍神を祀って城地鎮守と崇め永く加護を祈り、城の名を龍ヶ城、井の名を龍の井と称えしと云う。
天文十一年十二月二十六日、後の征夷大将軍徳川家康公、幼名竹千代君此の城に産声をあげ給う。この英雄児の生まれ出づるを待つが如く、城楼の上に雲を呼び風を招く金鱗の龍を見たりと云う。今に龍神の井、産湯の井、東照公胞衣塚を存する。
東照公戦乱の世を鎮め天下を統一し、万民和楽の大業を達成して世を去り給う。その偉業を称え、城内に東照宮を奉祀した。
後に本多忠勝公を合祀し、大正三年県社に昇格、神饌幣帛料供進神社に指定せされ、岡崎市の中心神社として崇敬せられた。昭和三十七年社殿再建の議成り、広く崇敬者の浄財を得、また日光東照宮より神木の寄進を受け、社殿を竣成。天神地祇、全市旧領の護国の英雄を配祀した。諸人の尊崇益々厚く諸願成就、開運守護の霊験いやちこな大社である。
岡崎龍伝説
その昔、旧三河国の中心には龍頭山という小高い丘がありました。ある日、西郷頼嗣(さいごうよりつぐ)がこの龍頭山の砦として岡崎城を築きました。すると天守閣に、美しい5つの衣に紅の袴を身にまとった少女が現れ、「我はこの地に久しく住める龍神なり、我を鎮守の神として祭らば、長くこの城を守り繁栄をもたらす」と告げました。西郷頼嗣はこの城を龍ヶ城と名付け、龍神を祀りました。それから約100年後、一人の男児がこの岡崎城で誕生しました。すると、城の上に黒雲が渦巻き、風を呼んで黄金の龍が現れたのです。その男児がのちに、初代征夷大将軍となる徳川家康だったということです。